街道をゆく 秋田県散歩

司馬遼太郎街道をゆく」、「秋田県散歩」より
「亡くなった吉田健一氏のことを思いだしている。このひとは江戸時代こそ文明だったのではないか、という意味のことをいった最初のひとである。その後、同意する人がふえた。
私も、同意したい。」
「江戸時代の昌益が、明治時代の亨吉のもとにあらわれるについては、亨吉が江戸期の古本を集めていたということが、契機として大きい。
同時に、奇人・変人とよばれかねない無名の学者が、明治の村々や市井に多くいたということも、考えておかねばならない。」
「昌益は『自然真営道』のなかで、
百年のちの人に読んでもらう
という意味のことを何度も書いている。これも、計算と胆力から出た気くばりに相違ない。」
「余談ながら、この時代、藩意識がまだ生きていた。たとえば秋月悌次郎という人は幕末、会津藩の周旋方として活躍し、世がうつりかわって、大学での若い亨吉や漱石たちにまじって五高(熊本)で漢文を教えていた。平素、温和な感じだったが、下調べをして来ない怠け学生がいると、ときに、
「足下は何藩か!」
と、どなった、ということが、五高の古い同窓会雑誌に出ていたことを記憶している。」



久しぶりの休日也。中野区の中央図書館へ。PCで調べておいた数冊を借りる。
きのう渋谷の図書館で読んだ山口昌男「はみ出しの文法」に、森銑三は読書日記がいちばん面白い、とあり。
(対談相手である谷沢永一のことばであったか)
図書館の司書は若い女性であったが、「メイジブンカゼンシュウ」はともかくとしても、「モリセンゾウチョサクシュウゾクヘンノジュウヨンカン」を聞き返すことなくキーボードをたたいたのはさすがというべきか。「倭名類聚鈔」は一度では伝わらず、用意のメモを見せたけれど。

大槻文彦の「假名の會の問答」を読むために「明治文化全集」を借りたのだが、東洋文庫の「復軒雑纂」にそっくり収められているのに気がついた。
他、内田魯庵の著書3冊。

きのう渋谷区立中央図書館にて見つけたものに、又「文明開化童戯百人一首」があり(「明治文化全集第24巻文明開化篇」所収)、コピーをとってきたのだが、「かな」が読めない。変体仮名を勉強しなければ。