読書メモ:『喪失と獲得』ニコラス・ハンフリー

フレーゲ「痛み、気分、願望が、それぞれ独立に、担い手なしに、世界をうろつきまわっている」と考えるのは馬鹿げている。「体験は体験者なしには不可能である。精神世界は、それが彼の精神世界であるような人物を前提としているのである。」

何が、一人の人間の各部分を一つに帰属させるのかーーもし、そういうことがあるとして、明快な答えは、各部分は、その人物の命をつくりだすという共通のプロジェクトにかかわっているかぎりにおいてのみ、一つのものに帰属する

自己はそもそもモノなどではなく、説明のためのフィクションだというのである。誰もその内部に魂に類似した主体/エージェンシーなど実際にはもっていない。私たちは、彼らの行動(そして、自分自身の場合には、自らの個人的な意識の流れ)を説明しようと試みるときに、この意識をもつ内なる「私」の存在を想像するのが実用的であることを知っているだけなのだ。実際には、自己はどちらかといえば、一連の伝記的出来事や傾向の「物語的な重心」に似たものと言っていいかもしれない。ただし、物理的な重心と同じように、実際にそういうモノ(質量や形や色をもった)は存在しない。